森彦、MORIHICO.?
地下鉄円山公園駅から徒歩4分。札幌コーヒーを牽引する人気カフェ「MORIHICO.」のはじまりの店舗が、ここにある。
1996年に裏路地の古民家から始まった森彦は、今や札幌を中心に14店舗に。駅のキオスクや自動販売機では、MORIHICO.監修の缶コーヒーも見かける。
ひとつとして同じ店舗は無い、MORIHICO.という系列でありながら、それぞれが「そこにしかない」カフェである。
はじまりの店舗の名前は「森彦」であり、MORIHICO.ではない。
裏路地に佇む古民家カフェ、完成した世界観
地下鉄円山公園駅前の大通りから少しだけ遠ざかった住宅地。駅前の喧騒を離れ、周囲の家々に溶け込むように、森彦はあった。
「森彦」と書かれたのれんは、多くのお客さんの出入りでよれてしまっているが、そうとわかればその文字が読める。芥子色に白抜きの文字。知らなければ、コーヒー店だとは思わなかったかもしれない。
長く垂れ下がったつらら、店内にある薪ストーブから伸びる背の高い排気筒。それらは北海道の冬の風景の一つとして、ただ美しい。
こんもりと積まれた薪の傍らには、MORIHIKOの看板が小さく。このさりげなさに胸を擽られる。
訪れたのは、札幌が雪まつりで賑わう土曜日だった。
雪まつりついでに訪れたのか、それとも普段からそうなのか、店の前には順番を待つ客の名前が書かれたウェイティングリストがあり、私達が店を訪れた時は4組ほど、店を出た時は更に待っている客が増えていた。
裏路地の古民家。かつてはどこにでもありそうだった風景が、今はこうして人気店となっている。それはどんな道のりだったのだろう。
味わいのある店内。まるでジブリカフェ?
店内は思いの外狭い印象を受ける。
何組かお客さんが入れ替わったのでそろそろかと中に入ってみれば、二重の扉を開けてすぐ目の前にレジカウンター。カウンターには赤黒白のコントラストが美しい、パッケージされたコーヒー豆が陳列される。
外から見えた煙突に繋がる薪ストーブがあり、その隣に順番待ちのための椅子が3脚ほど。ストーブを挟んで逆隣には、雑誌とドリップバッグが置かれた棚があった。
ちろちろと中で火が燃えているだろう薪ストーブは近付けば冷えた身体を優しく解してくれる暖かさ。薪の焼ける匂いが、石油ストーブに慣れた私達には新鮮だ。
待っている間にメニューを見せてもらい、注文を済ませる。
豆の種類は意外にも選べず、本店限定の「森の雫」とカフェ・オレ、水出し珈琲だったか。もう一種類くらいあったような気もする。
後日調べてみれば、平日と土日祝でメニューが異なり、土日祝は選べるものが少なくなっているようだった。コーヒーを何種類かおかわりしながら過ごすなら、平日に訪れるべきか。
一方でフードメニューは目移りする程度にはあり、トーストに焼き菓子に、美味しそうなケーキも3、4種類。冬季には大人気のおしるこもある。
一階にも席があるようだったが、通されたのは二階席。昔の人はどうしてこんな危険な階段を上り下りできたのだろうと不思議になるような急な階段を上がると、ほわりと心暖まる光景が。
さほど広くはない、けれど狭苦しさは感じない適切な間隔で、2人掛けの席が3つと4人掛けのテーブルがひとつ。私達のすぐ後ろからおひとりのお客さんがやってきたので、私達は4人掛けのテーブルを広々と使わせてもらった。
深煎りのこっくりしたブレンドコーヒーと選べるケーキのペアリング
チーズケーキ、ガトーショコラ、パウンドケーキ……とどれも魅力的であったが、せっかくなのでと選んだのは甘く煮た林檎のシブースト。
少しカタカタと揺れる、長く使われてきたことを感じるテーブルに、シブーストと森の雫が運ばれる。
寒い雪道を歩いてきた身体に、深煎りのこっくりとした、苦味あるコーヒーがよく合う。重苦しくなりがちな冬の気分を、カントリー調のBGMが明るくしてくれる。
シブーストにフォークを刺せばクリーム生地に先端が柔らかく沈み込む。柔らかく煮られた林檎と共に一口、口に運べば、濃厚なプリンを食しているかのような幸福感。洋酒のスパイシーな香りがまるで背伸びをしたレディのようだ。
シブーストを味わってから、再び森の雫を口に含む。ネルドリップのこっくりした舌触りはそのままに、まろやかさが増しとても美味しい。
長い長い年月を掛けて人に大切にされてきたからだろうか。初めて訪れる店なのに、不思議と落ち着く空間だ。賑わう店にはよくある落ち着かなさやせわしなさが、森彦には全くない。
席には「混雑時は一時間を目安にお譲りください」といった内容のプレートがあり、実際、私達がコーヒーを楽しんでいる間にも数組の客が入れ替わった。年配の男性、若いカップル、話題につられてきたのではないだろう、ただ「愛されている」から様々な人が訪れる。
だからだろうか。私達は、別々の席に座りながらも、「森彦」という名の愛で繋がっている。
それぞれのテーブル上に灯るランプは、ただテーブルの上を照らすためだけに存在しているのではないのかもしれない。
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